日本の焼き菓子の近代化は薩摩から始まりました。
日本の焼き菓子は薩摩藩士の手によって作り出された兵糧菓子が原点です。
『斉彬公御言行録』の中に「薩摩藩の軍の要である兵士を大切にするためには食糧が乏しい状態ではいけない。そのためには携帯に便利で、なおかつ長持ちする食糧が必要不可欠である。」と記されています。
斉彬公は安政2年(1855年)に創設した水車館を利用し、米粉を大量に挽く技術を確立したり、黒砂糖から氷砂糖や白砂糖を作り出す製法を開発しておりました。このような取り組みをもとに斉彬公の命を受けた薩摩藩士がいろいろな方法を試み、味にも優れ、しかも虫が食わないような胡麻入り兵糧麺包(サブレ・ビスケットに近いもの)を作り出すことに成功しました。
明治元年(1868年)、戊辰戦争の際、西郷隆盛大将が出兵する兵士のため、江戸の風月堂に依頼して5000人分の兵糧麺包を薩摩藩に納入させたという史実が風月堂の沿革に残されています。 西郷隆盛大将は兵糧麺包の研究・製造に従事した藩士から教わった焼き菓子の製法を風月堂に持ち込み、作らせたのではないかと思われます。そういう意味では「焼き菓子の近代化は薩摩から始まった。」とも言えます。